大阪地方裁判所 昭和34年(ワ)4454号 判決 1966年7月11日
原告 中島忠久
右法定代理人親権者父 中島忠見
同母 中島房子
被告 国
右代表者法務大臣 石井光次郎
右指定代理人 中島国男
<ほか六名>
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
(租税関係)
一、≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。
忠見は、原告法定代理人親権者の名義で、同三〇年六月一四日生野税務署長に、(1)原告が贈与により本件宅地および母屋の所有権を同二七年八月一日に取得し、その取得した右財産の価額が五八六、一二〇円であり、(2)原告が同二八年度に贈与により増築分の所有権を取得し、その価額が三九六、四七〇円であるとする贈与税の確定申告書を提出した(申告の点については当事者間に争いがない)。
右申告により、原告を納税義務者として、前者について五四、〇二〇円、後者について六四、一〇〇円の贈与税の具体的内容たる税額が確定した。
二、本件租税債務は存在している。
1、(1)、二七年分について本件宅地および母屋を取得したのは同二二年八月一日であった旨および(2)、二八年分について増築部分が僅少であった旨の原告の主張について。
右(1)、(2)はいずれも確定申告書の記載内容の過誤を主張するものである。しかし確定申告書の記載内容の過誤は、錯誤が客観的に明白かつ重大であって、しかも法定の手続による更正の請求以外にその是正を許さなければ納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がなければ許されない(最高裁同三九年一〇月二二日判決、民集一八巻八号一七六二頁)。
≪証拠省略≫によると、忠見は原告の代理人として更正の請求をしたことが認められる。しかし、法定の手続きによる更正の請求は、期限内申告書(またはその申告書にかかる修正申告書)を提出した者に限り許されるのである。
そして原告の申告書の提出は、贈与により財産を取得したという同二十七、八年のいずれも翌年の二月末日の申告期限を徒過した後の同三〇年六月であったことは原告の自認するところであるから、更正の請求の許されない場合にあたる。
そこで錯誤が客観的に明白かつ重大でありその是正を許さなければ納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情があるかどうかについて検討する。
イ、二七年分について
証人森義郎の証言によって森元一名下の印影が同人の印鑑によるものであることが認められるから真正に成立したものと推定される甲三号証には森元一が同二二年八月一日に原告に対し本件宅地および母屋を売り渡した旨の記載があり、忠見本人もこれに符合する供述をしている。
しかし≪証拠省略≫によると、本件宅地につき同二七年九月一〇日受付で同年八月一日売買を原因として森元一から原告に対する所有権移転登記がなされていることが認められる。
結局右の売買の真実の日時がそのいずれであるかを確定することができず、他に特段の事情のあることについては具体的な主張立証がない。
ロ、二八年分について
(坪数)
忠見本人尋問の結果によると、母屋は買ったとき一階二七坪七合、二階二一坪七合八勺延べ四九坪四合八勺の四軒長屋であったところ、同二七年一〇月から同二九年夏までの間に忠見が費用を支出して増築して、増築後生野区役所から調べに来たところ、延べ八七坪八合五勺に増加していたことが認められる。
その差は三八坪三合七勺であることは、計数上明らかである。
そして、証人中前利憲の証言によると、旧方法では柱の中心から六尺五寸を一間として検尺していたのを新方法(シャウプ勧告の後)では六尺を一間として検尺され、しかも旧方法では階上踊場、便所などを計算に入れていなかったのに、新方法ではそれも計算に入れるために、建物の大きさは以前と変らないのに坪数が増える結果となったから、生野区役所では右計算上の増加分を一五坪一合六勺とし、増築分を二三坪二合一勺として固定資産税課税標準額を定めたことが認められる。
尚原告は、そのうち一〇坪七合四勺は五人共有の保存登記ができていると主張するが、主張自体五人共有保存登記ができたのが申告後の同三一年九月一〇日だというのであるから申告当時に錯誤に陥っていたとは考えられない。
(申告額)
結局増築によって増加した坪数は約二三坪であったと考えられるが、しかし原告が同二八年中に増築に要した費用として忠見から支出を受けて贈与された真実の金額が申告せられた三九六、四七〇円でなかったことを認めるに足る証拠はない。
前掲の中前証言によると、増築によって増加した固定資産税の評価額は四六五、〇〇〇円であったことが認められるが、同証言(時価の七割)をまつまでもなく、固定資産税の評価額が時価より甚だしく低かったことは公知であって、それがかりに三年分の増加分であったとしても、申告額について右に述べたところは左右されない。
結局、右申告金額が、真実の贈与によって取得した財産の価額と相異すると認めることができず、他に特段の事情のあることについては具体的な主張立証がない。
2、二七年分につき、同二二年八月一日から消滅時効が進行しているとの原告の主張について。
イ、右の主張は、同日本件宅地と母屋を取得したことを前提とするものであるが、1のイに述べたとおり右取得が同日になされたことを認めるに足る証拠がないから理由がない。
ロ、しかも、原告は相続税法に定める課税要件を充足する事実の存在により客観的に成立する所謂抽象的租税債権についての消滅時効すなわち課税権の消滅時効を主張しているのであるが、
(一) (発生)贈与税の抽象的租税債権は、相続税法が贈与税の課税価格を一暦年中に贈与により取得した財産の価額の合計額としこの課税価格より一定額の基礎控除をした金額に累進税率を適用して贈与税額を算出すべきものと定めていて(原告主張の時期に適用されていた同二二年四月三〇日法律第八七号二七条、二九条、三〇条)(なお同二五年以降の相続税法でも同様、二一条の二、四、五)、この計算期間である暦年が終了しなければ贈与税の課税価格もこれに適用すべき税率も確定せず贈与税額の算出は不可能であるから、暦年の経過をまって初めて発生するものと解さねばならない。
(二) (時効)同二二年の相続税法は、贈与税について納税義務者は贈与を受けた年の翌年一月三一日までに課税価格等を記載した申告書を提出すべきものと定め(三九条)(なお同二五年以降の同法では翌年二月一日から同月末日までに、二八条一項)、国は納税義務者が申告書を提出しないときに課税価格を決定すべきものと定めている(四五条二項)(なお同二五年以降の同法では三五条二項)から国は申告期限である贈与のあった年の翌年の一月三一日(二五年以降は二月末日)の経過後において初めて課税権を行使できることとなる。債権の消滅時効は一般的には民法一六六条一項により権利を行使できる時から進行を始めるものとされており、租税債権についても特に異なる解釈をすべき理由はなく、贈与税の抽象的租税債権の消滅時効は贈与の年の翌年の二月一日(同二五年以降には三月一日)から進行を始めるものと解すべきである(時効期間は会計法三〇条により五年)。
従って同二二年八月一日から進行しているという原告の主張は理由がない。
3、両年度分について、租税債権が被告の本件土地を差し押えた同三四年五月二九日までに消滅時効が完成しているとの原告の主張について。
イ、その始期が(1)同二八年一月一日、同二九年一月一日であるという原告の主張は、首肯できず、前述のとおり各三月一日に進行を始めるものと解せられる。
ロ、抽象的租税債権の時効が進行を始めた後の時点における納税義務者の申告は、申告にかかる租税債務の承認たる性質を有する。従ってこれに時効中断の効力を認めて差支えないものと解せられる。そして前認定のとおり原告は時効が進行を始めたのちの同三〇年六月一四日に申告書を生野税務署長に提出しているのであるから、同日時効は中断したといわなければならない。
ハ、また、右申告により、同二八年一月一日、同二九年一月一日にそれぞれ発生した二十七、八年分の抽象的租税債権は、具体的内容たる税額が確定し、右申告を経て具体的租税債権が成立したこととなる。
従って、課税権の消滅時効はもはや進行する余地がなく、申告のなされた同三〇年六月一四日以降は具体的租税債権すなわち徴収権の消滅時効(会計法三〇条により時効期間は同様五年)が進行を始めるものと解さねばならない。
そうすると、差押えのなされたことの当事者間に争いのない同三四年五月二九日に徴収権の消滅時効も中断している。いずれにしても消滅時効が完成したという原告の主張は採用できない。
4、共同親権者一方の単独申告であるから無効であるとの主張について、
本件申告は、忠見が単独名義で原告の代理人としてなされていることは、前認定のとおりである。
しかし原告法定代理人親権者母中島房子本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、共同親権者である同人は、原告の外部的な税金とか訴訟などについては共同親権者である忠見に任せていて、忠見が単独名義であれ共同名義であれ原告を代理することについては、すべて同意していたことが認められる。
このように共同親権者の一方が単独名義で代理行為をすることを他の一方が許諾している場合に許諾を受けている忠見が単独名義で代理行為をしたとしても、未成年者たる原告の保護に欠けるところがなく、また房子はこれを認容しているのであるから、その親権の尊重にも欠けるところがない。本件申告は有効であり、原告の右の主張も理由がない。
5、原告は、本件申告を同三六年一月一三日に取り消したと主張するが、それが有効に取り消し得たことについて何ら具体的な主張立証がない。よって原告の右主張も採用できない。
(手形関係)
一、≪証拠省略≫によると、大阪市警視庁経済保安部経済捜査課司法巡査天見正夫は、同二五年七月七日訴外中島正一に対する経済罰則の整備に関する法律違反事件について、忠見が任意に提出した約束手形一枚を領置したことが認められる。
忠見本人尋問の結果によると、右は忠見が中島正一と勝山双隈に一〇〇、〇〇〇円を貸して借用証書のかわりに右金員とひきかえに受け取った受取人らん白地、金額一〇〇、〇〇〇円の手形であったことが認められる。
しかし右尋問の結果によると、忠見は同三一年頃市警に本件手形の返還を求めたところ、検察庁に廻っていると言われ、検察庁に行ったが本件手形がどうなっているかわからないといわれたことも認められる。右事実に弁論の全趣旨を合わせて考えると、右手形は紛失して現存せずその引渡しが不能となっているものであることが推認せられる。
他に原告所有の約束手形が領置せられたことを認めるに足る証拠がない。従って原告の手形引渡しの請求は理由がない。
二、原告の一〇〇、〇〇〇円と法定利息の請求は、本件手形の返還を受けられないことによる損害の賠償を求めるというにある。
≪証拠省略≫を合わせて考えると次の事実が認められる。
原告の法定代理人忠見は、同二四年三月頃勝山双隈から融資を頼まれ、当時取引していた帝国銀行鶴橋支店の支店長代理松山某と同支店貸付係員の中島正一に勝山双隈の信用状態をたずねてみたところ、右両名からその信用状態は良いとの回答を得たので、勝山双隈に対しその頃二回にわたり一〇〇、〇〇〇円づつ計二〇〇、〇〇〇円を貸与し、その都度その支払担保のため勝山から同人振出しの金額一〇〇、〇〇〇円満期約六〇日後裏書人または共同振出人中島正一名義の約束手形を受け取っていた。忠見の受け取った中島正一の名前の入っている手形はこの二通だけであった。そのうち一通の金額一〇〇、〇〇〇円の手形は弁済を受けて勝山か中島正一かのどちらかに返還し、残りの手形が本件手形であって、不渡りとなっていた。同二五年夏頃前記銀行の不正融資に関する刑事事件の捜査が行われ、その際忠見は警察に本件手形を提出していて不渡りの事実も判明していたので、示談がすすめられた。同二六年一月一七日頃右刑事事件に関連して検察庁の取調べを受けていた勝山と中島正一ならびに忠見が大阪地方検察庁に呼び出され事情を聴取された際、担当検察官のあっせんで本件手形を支払担保としていた一〇〇、〇〇〇円の貸金債権につき示談が成立し勝山がそのうち約二三、〇〇〇円を弁済し、残額については原告が正一を被告として示談金請求の訴えを提起し、原告勝訴の判決が確定した。
以上の事実を認めることができる。忠見本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない。
そうすると、本件手形の返還を受けられないことによって、原告としては、本件手形金および法定利息に相当する損害を蒙っていないものというべく、原告の右請求は失当である。
(結論)
結局原告の本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前田覚郎 裁判官 木村輝武 裁判官白井皓喜は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 前田覚郎)